習うよりナレオ ぐうたらバンドマンのページ
生年月日 | 1946年12月7日 |
生まれた所 | 東京都日野市(当時は東京 都南多摩郡日野町) |
現住所 | 東京都日野市多摩平 |
職業と肩書き | ナレオウクレレ教室主
宰、アパート&貸家経営、宮地楽器ウクレレ講師、 4つのバンドに参加 (ナレオアイラン ダース、ユーカレイリーズ、ヒノハワイアンズ、E-MUSIC) 多摩ハワイアン連盟会長(故沢田光男さんの後を受け継いで2008年2月から) |
家族 | 妻、長女、長男(次女は 2011年11月4日死亡) |
趣味その1 | 音楽(楽器演奏:木管楽器、弦楽器 音楽鑑賞:クラシック、ハワイアン、モーツァルト研究) |
趣味その2 | 歴史研究(古代から現代史 まで幅広いが、世界史は少々苦手) |
趣味その3 | パソコン(デスクトップ ミュージック、画像編集、ブログ他、なんでもパソコン派) |
趣味その4 | カメラ・写真(暗室作業か らデジタル写真まで) |
趣味その5 | 天文研究・観察 |
趣味その6 | 雑文書き(狂歌、漢詩、和 歌) |
趣味その7 | 野球(今は観戦のみ。元少年野球コーチ)。熱狂的であり ながら妙に冷めたところもある巨人ファン(小学4年か ら 50年以上続く) |
楽器歴 | 12歳よりフルート、クラリネット。15歳よりクラシックギ ター。19歳よりスチールギターやウクレレ。50歳よりウッドベース(17歳頃も弾いた記憶あり)。 |
特技 | いたずら |
長所 | うそ、ごまかし、いたずら がうまい。 |
欠点 | うそ、ごまかし、いたずら がすぐばれる。 |
ハワイアンとの 出会い |
現在、日々の生活でもっとも関係が深い「ハワイアン」。「ハワ
イアンバンド」との関わりは、二十歳の頃からだ。好きでもなかった(むしろ、嫌いだった)ハワイアンバンドに入ったのは、他に入れて貰える音楽のクラブが
なかったからだ。3年生からでは遅すぎたのだ。 高校卒業まで吹奏楽一筋。木管楽器奏者で、管弦楽団でクラシックをやるのが夢だった。大学には、管弦楽団はおろか,吹奏楽団もなかった。友人達と一緒 に、同好の士を募り、吹奏楽団を作ろうと運動を始めた。最後には応援団の協力も求め、当初は,応援ミュージックやマーチングバンドで、スタートしようとし たが、 メンバーの意見がバラバラになり、結局、挫折した。 マンドリンクラブでフルートなどのコーチをしたり、母校の中学校吹奏楽部のコーチに出かけたりしていた。一人で、クラシックギターやフラメンコギターを 弾いていたが、バンドに参加したい希望が益々強くなってきた。しかし、3年生になろうとしている私には、ここだというバンドがない。デキシージャズが最適 かなと思ったが、メンバーは充分足りているそうだ。「俺のほうがうまい」と言って、ごり押しする度胸もない。 ある日、「ハワイアンバンドがつぶれそうだから、入ってくれないか」との誘いを受けた。ベース奏者で、後に、大の親友になる同じ学科の「I」からだっ た。高校時代に、マヒナスターズ風のバンドでウクレレを弾いていた高校の同級生だった友人も「一緒に入らないか」と誘いに来た(マヒナバンドでは私もウッドベースを弾いていた)。 「なぜ、俺がハワイアンなんだ」 吹奏楽時代の友人達は、クラシック音楽、あるいはジャズをやっている。ハワイアン・イコール・マヒナスターズ、あるいは、ハワイアンの楽器・イコール・ 牧伸次が連想されるだけのハワイアン。ウクレレとギターがリズムを刻み、スチールギターが「ブヨーン」だか「ポニョーン」と弾いていて、裏声の歌が聞こえ る奇妙な音楽が 「ハワイアン」と思っていたから、本当はやりたくなかった。音楽仲間から、一段も二段も低く見られていた「ハワイアン」。 それでも「大橋節男とハニーアイランダース」の演奏を聴いてから、幅広いジャンルのおもしろい演奏もできることを知って、「なにもやらないよりは」と気 持ちを切り替え参加することになった。そして、スチールギター奏者として「フラをやらないハワイアンバンド」のメンバーとなった。そして、50歳になった 時にスチールギターを再開した。 若い頃は、大橋節男(オッパチ)のスタイルを真似て夢中で弾いていたのに、今は、その面影もなく、いつの間にか、フラのバックに合わせ、「ポニョーン」「ブ ヨーン」と弾いている。 |